2008年07月03日(木)
思ったこと。感じたこと。考えたこと。
ちょっとカタイ話かも…。国文学科所属なもんで。
おもしろい話ではないです(笑)
先輩の発表は、中山可穂の「卒塔婆小町」でした。
発表の中心は、小説に出てくるレズビアンの女性編集者と、若い天才作家(♂)の恋愛観。
作家は、初めて逢った瞬間に女性編集者に烈しく恋焦がれる。
女性編集者は、彼の作品を愛し、傾倒しているが、レズビアン故に彼に応えることはできない。
女性編集者は、あまりに純粋で、「あまりに神々し」い彼を「敬愛」し、「畏怖」し、「崇拝」していた。
「聖母マリアのような愛情なら与えられる」
「崇拝の対象を人は愛することができるだろうか?」
この、女性編集者の作家に対する想いが、私はちょっとわかる気がした。
私の、すばるへの想いに、少し似ている気がしたから。
眩しすぎるくらいに神々しい彼。
触れるのがためらわれるくらいで、時に畏怖してしまう。
敬愛の対象で、崇拝の対象。
近づきたいけれど、近づくのが怖い気もする。
そんな存在。
私は、すばるを恋愛対象として見たことはない。
『すばるは、一番幸せであってほしい。』
そう願うのは、「聖母マリアのような愛情」に近かったりするのだろうか?
なーんて、そんなことをちょびっと考えました。
ここからは、ラスフレの話。
【More・・・】
先輩が発表した後、先生がラスフレの話をちょっとした。
女の子を好きな女の子(瑠可)と、その女の子を好きな男の子(タケル)が出てくるから。
私は、瑠可は性同一性障害であってレズビアンではないから、ちょっと違うような気もするんだけど。
それに、小説に出てくる女性編集者と作家の関係は、
瑠可とタケルよりも美知留と宗佑の方が近い気がした。
烈しい愛情を注ぐ男性と、それに応えられない女性。
そして、自分がいくら彼女を愛しても愛しても、彼女は自分を愛してはくれないと気づいたとき、
彼は自殺してしまう。
作家も、宗佑も。
・・・・・・悲しい。切ない。
どんなにどんなに想っても、どんなにどんなに愛しても、
報われない想いが、やっぱりこの世には存在してしまうのかな。
ラスフレを見ていて、美知留には何度もイライラしたけど、
私はあの中では美知留に一番近いのかもしれないなぁとも思った。
「今まで、「人に愛されてる」と思ったことなんてなかった。
でも、宗佑には「愛されてる」って実感できる。」
だから、DVされても彼の所へ戻ってしまう美知留の気持ちは、少しわかる気がした。
「愛」って、やっぱりわからない。
むずかしい…。
私も、「愛されてる」って実感してみたいなぁ…。
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック




